Takamura Kenji
「田園未来都市すその」への挑戦
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令和4年1月28日をもちまして、任期満了により裾野市長を退任いたしました。
2期8年間お世話になりました皆様に、心から感謝申し上げます。
退任のごあいさつ
裾野市役所職員の皆さんとともに力を合わせて、また、市議会議員の皆さまとも車の両輪となって、市民の皆さんに奉仕できたこの8年間は、私にとって大変に充実したものでありました。
市長就任直後の平成26年2月に、2週連続の大雪に見舞われ、交通は大混乱し、市民生活にも大きな影響が出ました。その時あまりに無力であった私は、危機管理に対する市長職の責任の重さと、自分が守るべきものは、裾野市・裾野市民であることを自覚し、それ以降、どんな事案が発生しようとも、冷静な状況判断と、やわらかい頭・臨機応変な対応で、市民の命と暮らしの安全は絶対に守り抜こうと心に決めました。幸い私の任期中、大きな人的被害を伴う自然災害は回避できましたが、近年では、想定を超えた豪雨等による自然災害が頻発し、富士山噴火の想定も厳しくなっています。コロナ禍もあり、より困難な対応となっていますが、職員の皆さんには引き続き、市民・地域組織のみなさんとともに、自助・共助・公助の役割分担を明確にして、想定外をも想定した先回りの対応を期待いたします。
また、地方創生の取り組みも大変に印象的でした。ないものねだりはせずに、裾野市ならではの魅力を再発見し、すでにあるものに自信をもって磨きをかけて売り込んでいこうと、まち・ひと・しごとづくりに取り組みました。市民を含む、産官学金労言の各界から選出された創生会議委員さんたちの投票で決まった総合戦略のキャッチコピーは「富士山の裾野田園未来都市すそのの挑戦」でした。総合戦略を策定してしばらくは、田園はわかるけど、未来都市って何?という意見も多くありました。しかし、ウーブン・シティの建設が始まった今では、このキャッチコピーが、第5次裾野市総合計画のめざすべき将来都市像「みんなの誇る豊かな田園未来都市すその」に進化しています。市民のアイディアが、市の最上位計画の将来都市像として採用されたことは、市民協働の大きな成果の一つです。総合戦略を通じて、就任当初から蒔いてきた種は、着実に実を結びつつあります。裾野市で初となる住居系の市街化調整区域の市街化編入と民間開発による宅地分譲、JR裾野駅、JR岩波駅のバリアフリー化、裾野市立御宿台保育園の民間こども園化、裾野市独自に開発した薄層屋上緑化技術は、東京駅前で裾野市をPRしているなど、順調に花が咲き、実を結ぶところまで来ています。また、近隣市町との広域行政では、裾野市長泉町衛生施設組合の斎場整備、三島市、長泉町とで富士山南東消防組合の設立などを成し遂げ、市民生活の安全・安心を高めることに貢献できたものと自負しています。
アフターコロナは地方の時代となります。人間らしい豊かな暮らしは地方にこそあります。ウーブン・シティという最大のパートナーを得て、国・県・近隣市町・企業・研究機関などからの注目が集まる裾野市こそ、「特別な田舎」とならなくてはなりません。これまでどんなに求めても得られなかった規制緩和や民間活力の参入により、まちを作り変える絶好の機会が訪れている今が、まさに最大のチャンス、がんばりどころ、踏ん張りどころです。職員の皆さんには、裾野市の未来のため、裾野市民の笑顔のため、困難をやりがいに変えて精一杯に頑張ってください。
私の政治の原点は、子育てを通した仲間との活動・市民協働にあります。これからも、ひとりの市民として、職員の皆さんから市民協働のパートナーとして認めていただけるように、市民サイドの人間として精進を重ね、ウーブン・シティとSDCC構想の裾野市が双子のスマートシティとして世界中の注目を集め続けながら、アフターコロナの地方都市の進むべき方向性を示す、明るい道標となることを夢見ていたいと思います。
結びに、裾野市の発展に向けた皆様方の益々のご活躍とご健勝・ご多幸をご祈念申し上げますとともに、2期8年間、私にやりがいのある大きな仕事をお与えいただいた、企業様を含む、多くの皆さまに心から感謝申し上げ、退任のあいさつといたします。
令和4年1月28日 裾野市長 髙村謙二